3.11 - 東日本大震災の記録

3.11 - 東日本大震災の記録

2012年3月

千葉 です こんにちは、あさかぜネット(宮城県仙台市)の千葉です。
早いもので、2011.3.11の東日本大震災から1年になります。

震災に際しましては、たくさんの方々よりお見舞いや励ましのメールをいただきました。厚くお礼申し上げます。

おかげさまで、弊社の被害は少なく、家族も住むところも無事でした。
しかし、これは 運が良かった だけの事だと思っています。震災発生が別の日だったら、無事ではいられなかったかも知れません。

宮城県沿岸では、高い確率で宮城県沖地震が起こると言われていましたので、地震への備えはしていたつもりでした。しかし、十分ではありませんでした。

それでも、震災が発生した時は、運よく備えは万全な状態でした。
食料も燃料も薬も、必要なものは前日または当日午前中に調達したばかりだったのです。

運が良かったのはこれだけではありません。

住んでいた地域(仙台市西部)は海から離れていたので津波の被害はありませんでした。
また、地盤特性が良好で、建築物の基礎地盤として恵まれていた点も幸運でした。

さらに、地震の周期が、木造家屋などにダメージを与えると言われている「キラーパルス」の割合が少なかった事も幸いでした。(キラーパルス:1秒〜2秒、今回の地震:0.5秒〜0.7秒)

このように、幾つもの幸運が重なったおかげで、千年に一度といわれる大震災に遭いながらも、最小限の被害で済んだのだと思います。本当に運が良かったと思っております。

そして、震災後直面したのは、厳しい現実でした。

頻発する余震の恐怖と、生活に必要なものが何も手に入らない状況に、
この先どうなってしまうのか」 と本当に不安でした。

先が見えない中で、不便な生活を強いられ、精神的にもかなり厳しい日々でした。

しかし、幸運な事もありました。

詳しくは後述しますが、水道がすぐには断水しなかったり、震災後もガスが使えたり、思いがけなく食料品が手に入ったりと、「運が良かった」としか言い様のない出来事に助けられ、今日まで生き長らえて来ました。

震災後1年を迎えるのを機に、震災から1カ月間の記録をまとめてみました。

2012年3月

復旧・再開を確認した日にち等

スイッチを入れれば電気がつき、蛇口をひねれば水がでる。スーパーに行けば食料品が買え、ガソリンスタンドに行けば給油できる。震災前はあたりまえのことでした。が、本当はとても 有り難い事 だと思い知りました。

震災後しばらくは、必要なものが何も手に入らない日が続きました。
なにより情報が入ってこないのが不安でした。

その後多くの人々の努力のおかげで徐々に回復が進み、1カ月程度で不安な状況から脱する事ができたわけですが、その1カ月間は永遠と思えるくらい長く感じました。

当時確認した復旧・再開の日にちは以下の通りです(場所:仙台市西部の愛子地区)。

3/11 ( 0日目) 午後2時46分、東北地方太平洋沖地震発生(M9.0)。
3/12 ( 1日目) 新聞(河北新報)届く→被害の全体像を知ることができた
3/13 ( 2日目) 一時的にケータイつながる→親戚に無事を知らせることができた
3/14 ( 3日目) 電気復旧(同時に電話、インターネットも復旧)→情報インフラ復旧
3/18 ( 7日目) 水道復旧(震災後初のシャワー)
3/22 (11日目) 宅配荷物届く(営業所止め)
3/23 (12日目) スーパー営業再開→並ばずに買えるようになった
3/26 (15日目) (震災後初の暖房)
3/29 (18日目) (震災後初のガソリン給油:給油制限有り)
4/ 5 (25日目) 介護施設がデイサービスを再開
4/ 6 (26日目) 灯油販売店が配達を再開
4/ 7 (27日目) 午後11時32分、震度6強の余震→地震の恐怖が蘇る
4/ 9 (29日目) ガソリンスタンド営業再開→給油制限が無くなった
4/10 (30日目) (震災後初の風呂)
4/11 (31日目) (風呂の残り湯で震災後初の洗車)

仙台市の愛子地区では、電気が復旧するまで3日、水道が復旧するまで7日かかりました。
また、最初に食料品が手に入ったのは3日目ですが、並ばずに買えるようになったのは12日目でした。同様に、最初にガソリンが手に入ったのは18日目でしたが、自由に買えるようになったのは29日目でした。

※上記の日にちは、個人の記憶に基づいたものです。

日記(メモ)

震災後1カ月間について、当時のメモと他の情報を合わせてまとめてみました。
後日、仙台市の放射線量が発表されましたのでそれも掲載しました。(情報源:宮城県 空間放射線線量率マップ

※読みづらい部分もございますが、どうかご了承下さい。

3/11(金) 晴後雪一時曇

停電

前日(10日)は通院日で薬を4週間分もらってきたばかりだった。

午前中に食料品の買い出しに行ってきたので、食品庫は満杯状態だった。

午後2時半頃には家族全員が自宅にいた。皆がそれぞれの都合で帰宅していただけで、全くの偶然だった。

午後2時46分頃、地震発生。
緊急地震速報が出たが、地震の方が先だったような気がする(記憶が曖昧)。

揺れ始めてから数秒間は会話をする余裕があったが、そんな余裕はすぐになくなった。揺れがだんだん大きくなり、立っていられない程になった。何かにつかまっていなければ身体が投げ飛ばされそうな勢いだった。

家中がすごい音を立ててゆれ続けた。必死にこらえていると、天井から板が落ちてきた。「家が崩れるのでは」と不安が過ぎった。
揺れはさらに激しさを増して長く・長く続いた。その間しがみついているのがやっとで、動くことは全くできなかった。

地震は10分以上続いたように感じた。過去に宮城県沖地震と日本海中部沖地震を経験したが、それよりもはるかに激しい大地震だった。

家具などは転倒防止対策をしていたので倒れなかったが、棚から落ちた物が散乱した。ノートパソコンが1台壊れた。他には大きな被害は無かった。

地震が発生した直後に停電した。念のためブレーカーをOFFにした。
水道は出たので浴槽に水を張った。何れ断水すると思い、ありったけの容器に水を汲んだ。ガス(プロパン)も使えた。

物置には、2リットルのペットボトル(水)が1箱(6本)、カセットコンロ用のボンベが3本、非常食が3日分程度あった。いつ平常に戻るか予想もできなかったので、もっと用意しておけば良かったと思った。

情報源はラジオだけだった。大津波警報が出ていることを知った(この時点ではまだ津波は到達していなかった)。

外に出てみると、近所の方々も出ていた。どのお宅も大きな被害は無いようだった。食糧確保のため近くのコンビニに走る人もいた。

この界隈はオール電化のお宅も多く、小さなお子さんが居るお宅もあった。お湯が必要なお宅には、お湯を沸かして届けた。

携帯がつながる間に、身近な人々に連絡した。皆無事だったので一安心した。 携帯がつながらなくなった後もモバイル通信(PHS)はしばらく使えたので、ネットに接続して仕事関係の掲示板に無事を伝える書き込みをした。

夕方になって、車のカーナビでワンセグテレビを1時間ほど見た。津波の映像は衝撃的だった。しかし、情報が断片的で、被害の全体像は把握できなかった。ガソリンを節約するためそれ以上見ることはやめた。

電気は使えないが、ガスコンロ(プロパン)が使え、食料もあり、水もあった。
冷蔵庫が使えないので、日持ちしないものを先に食べることにした。その結果、品数の多い食事になった。

冷凍室は電気が切れても中はわりと冷えていた。冷凍食品が保冷剤の役割をしたようだ(次の日でも凍っていた)。

夜は、ロウソクで過ごした。子供が工作したランタンもあったので明かりには困らなかった。その他に電池式のLEDライトが7個、電池の予備もあった。

外に出てみると、電気のない夜空はキラキラしてとてもきれいに見えた。

寝るときには、ラジオとLEDライト1個をつけっぱなしにしておいた。余震が頻発していたので眠ることはできなかったが、自宅で、自分の布団に寝ることができるのは幸せなことだと思った。

3/12(土) 晴時々曇一時雪

停電

気温が氷点下の朝は暖房無しでは寒かった。
相変わらず停電中だったが、水はまだ出た。

驚いたことに、新聞(河北新報)が届いた。おかげで被害の全体像を知ることができた。交通が麻痺している中を、よく届けてくれたものだと思う。

ガスコンロが使えたので、鍋でご飯を炊いておにぎりを作り、温かいうちに友人宅に届けた。とても喜んでくれた。

道路の信号は止まったままで、路面の被害状況もわからなかった。何よりガソリンが貴重だと思ったので、移動手段は専ら自転車を使った。

自転車で走り回りながら情報収集を行った。コンビニやスーパー、ガソリンスタンド等、全て閉まっていて何も調達できない状態だった。この現状を目の当たりにして、不安な気持ちが一気に高まった。

3/12(土)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城震度7大津波
死者・行方不明者多数
初の巨大複合型災害
「想定外」と気象庁
被害拡大 写真で追う
仙台市内も爪痕深く
街消えた 被災地ルポ

3/13(日) 晴

停電・断水

お湯やおにぎりを届けた友人・知人から、食料や水を頂いた。食料調達の目処が立たない状態が続いていたのでとても有り難かった。

午後になってとうとう断水した。断水は予想していたので飲み水は確保していた。水を入れる容器が足りなかったので、ゴミ袋と段ボール箱で簡易水タンクを作った。

夕方携帯電話(au)がつながり、県外の親戚と連絡をとることができた。

簡易水タンク 3/13(日)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
福島第1建屋爆発
初の炉心溶融
見えぬ恐怖おびえる住民
自衛隊 避難誘導
原子力信頼失墜
被災者の生活支援情報
「全部なくなった」

3/14(月) 晴後曇

停電・断水、仙台市の放射線量:0.08μSv/h

天気が良く日中は暖かかった。情報収集に出ていた1人が5km程離れたところにあるスーパーが開くという情報を入手し、1時間半並んで食料を調達してきた。助かった。

午後電気が復旧した。電話も復旧し、ネット環境も使えるようになった。テレビで各地の惨状を目の当たりにした。電気は来たが当分は暖房はつけない事にした。

古い友人からの電話で他の友人の安否を知った。

3/14(月)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
犠牲者万単位に
避難者、6県で45万人超
引かない水 救出阻む
8万人の避難本格化
指揮系統まひ 限界
救助待つ 多くの命
津波去り憔悴漂う

3/15(火) 雨一時曇

断水、仙台市の放射線量:0.30μSv/h

仕事を再開した。今までとは環境が違うが、何とか代替手段を見つけ、仕事を再開することができた。

家族で手分けして、薬店で1.5時間並んで日用品を、スーパーで3時間並んで食料品を、そろぞれ調達できた。

遠くに住む友人から電話があった。心配してくれていたようだ。こちらから連絡できず申し訳なく思った。

3/15(火)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
核燃料一時完全露出
3号機水素爆発2人被ばく
メルトダウン危機
東電対応に批判強まる
JR復旧めど立たず
支援まだ光届かず
南三陸に1000遺体

3/16(水) 雪後一時曇

断水、仙台市の放射線量:0.33μSv/h

雪が積もったので集めてビニール袋に入れた。溶ければトイレに流す水に使える。(この時は放射線量のことを全く知らずにいた。知っていたら、こんな事はしなかった。)

仕事の関係者やお客様からたくさんメールを頂いた。皆心配してくれている。ありがたい。この先どうなるのかわからない不安はあったが、とにかくできる事をやろうと思った。

ビニール袋に入れた雪 3/16(水)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
高濃度放射能漏出
2号機格納容器損傷
4号機火災
底無し止まらぬ事故
安全の「壁」次々崩壊
ガソリン枯渇深刻
安否不明3000人生存

3/17(木) 雪

断水、仙台市の放射線量:0.24μSv/h

真冬並みの天気になったが、暖房はつけなかった。

家族の1人が近所の商店が開くとの情報を入手してきた。雪が降る寒い日だったが、2時間並んで食料を調達した。

かなり時間はかかるが、並べば食料は手に入るようになって来た。しかし、ガソリンなどの燃料は情報さえ全く入手できない状況が続いている。

2時間並んで食料を調達 3/17(木)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
福島第1冷却作業難航
3号機白煙 4号機火災
補給路整備 急ピッチ
秋田県内で支援広がる
不安と恐怖 地元限界
被災地無常の雪
避難所風邪まん延

3/18(金) 晴一時雪

【仙台市の放射線量:0.20μSv/h

水圧は弱いが水が出た。震災後始めてシャワーを浴び、洗濯もした。シャワーの時少しだけストーブもつけた。暖房のありがたさが身にしみた。

今まで入手できなかった米をやっと買う事ができた。米さえあればなんとかなる。これで当面は食料の心配がなくなった。

3/18(金)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
仙台港に救援物資
東日本大震災1週間 仙台港も利用再開
燃料需給緩和へ
灯油・経由きょう供給
福島県外へ避難続々
「明日へ」歩み着実に
幹線道復旧急ピッチ

3/19(土) 晴

【仙台市の放射線量:0.20μSv/h

暖かくなった。昨日までの雪はほとんど溶けた。
昨日復旧した水道だが、水圧が弱く時々止まりそうになる。

連日の福島原発のニュースを見てとても心配になる。仙台は100km離れているが、いざという時のために、ガソリンを入手したいと思った。

3/19(土)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
戦後最悪死者6911人
阪神大震災上回る
窮余の策 地上放水
食品卸 東北12拠点停止
余震M5以上262回
募る思い 絞り出す
あの日から1週間被災者はいま

3/20(日) 薄曇後一時雨

【仙台市の放射線量:0.18μSv/h

余震が続いている。原発も心配だ。
いつになったら元に戻れるのかわからない不安が頭からはなれない。
夜寝ると、身体が揺れているように感じる。地震酔いらしい。

3/20(日)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
2号機外部電源接続
電力供給きょう以降
津波猛威まざまざ
冷却システム復活期待
新しい命 避難所で誕生
暮らし再生一歩ずつ

3/21(月) 曇

【仙台市の放射線量:0.19μSv/h

近くに住む友人が、米と卵を持って来てくれた。有り難い。
明日ガソリンを販売するというスタンドの情報ももらった。非常に有り難い。

3/21(月)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
9日ぶり2人救出
石巻80歳祖母16歳孫の少年
女川原発は大丈夫か
福島市の線量 風雨影響
気仙沼から災害放送
支援乏しく被災者自活
医療現場危機的状況

3/22(火) 曇時々晴後一時雨

【仙台市の放射線量:0.16μSv/h

親戚から食料が届いた。有り難い。営業所止めだが物流も回復してきた。
結局ガソリンを買う事はできなかった。震災後燃料の調達はまだゼロ、厳しい。

3/22(火)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
ガス復旧ヵ月半めど
仙台市あすから順次
新潟ルートで調達
出荷自粛要請に怒り
訪問看護燃料不足の壁
温泉旅館に被災者収容

3/23(水) 晴一時雪

一時断水、仙台市の放射線量:0.13μSv/h

中学校が授業を再開した。
近くのスーパーが営業を再開したが、品数は少なく、牛乳や卵は置いてないようだ。
水道が一時断水した。まだ水のくみ置きが必要だ。

3/23(水)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
息吹き返す大動脈
東北道大型車の制限解除
東北新幹線 盛岡以北 運転
仙台市ガスの復旧日程
原発難民 怒り心頭
信用金庫の4000万円盗難
犠牲者送る涙と花

3/24(木) 晴時々曇一時雨、みぞれを伴う

【仙台市の放射線量:0.12μSv/h

寒い日が続いている。花粉症もつらい。
原発事故による放射線量が各地で高い数値になっている。今のところ仙台ではさほど高くないが、今後どうなるのか心配だ。

3/24(木)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
東北道きょう全面再開
仮設住宅建設本格化
石巻工業港9岸壁復旧
宮城の公立高合格発表
共同生活まるで家族
津波防災 漂う無力感
チリ地震津波はるかに上回る

3/25(金) 曇後一時雨

【仙台市の放射線量:0.18μSv/h

ガソリンスタンドが開いていても緊急車両しか給油できない。
東北道が全面再開しても、ガソリンがなければ使えない。

3/25(金)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
東北道全面再開
支援物資の輸送が加速
福島県内首長 怒り頂点
輸入規制 アジアで拡大
「逃げずに救助」誇り
偏る善意対応苦慮
救援物資 需要とミスマッチ

3/26(土) 曇一時雨後晴

【仙台市の放射線量:0.16μSv/h

中学校は卒業式だった。
燃料入手の目処は立たないが、震災後初めてメインの暖房を入れた。暖かい。

3/26(土)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
死者1万人超す
震災2週間 不明1万7000人超
教員移動1日付変えず
宮城県知事「飲料水安全」
あす「ゆりあげ港朝市」
避難所に思い出の写真
遺体確認 時間との闘い

3/27(日) 晴

【仙台市の放射線量:0.15μSv/h

情報収集の範囲を広げるため、思いきって車で買い出しに出てみた。
何軒か回って食料品を買う事ができ、それなりの収穫はあった。
家具の転倒防止補強用の金具も買えた。

3/27(日)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
集団避難 動き相次ぐ
宮城・南三陸で説明会
「危険な水」大きな障害
内定取り消し相次ぐ
復興に がれきの「壁」
陸に船、街中に車散在・・・
処理 見通しつかず

3/28(月) 晴

【仙台市の放射線量:0.14μSv/h

運良くガソリンの給油整理券(20リットル)を入手できた。
情報収集に歩いていたら、閉鎖中のスタンドに数人の人が並んでいた。
一緒に並んで待っていたら、給油整理券がもらえた。

3/28(月)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城 がれき量「23年分」
推計1800万トン 撤去費国負担へ
仙石線きょう一部再開
政府対応評価せず58%
大島の小中校 灯ともる
介護高齢者移送に奔走
善意の力 生かし切れ

3/29(火) 晴

【仙台市の放射線量:0.14μSv/h

昨日入手したガソリンの給油整理券を使って、震災後初めてガソリンを給油できた。
ガソリンがあると安心する。しかし、今回は運良く給油できたが、次回は何時になるかわからないのでまだ楽観はできない。

3/29(火)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城 被害額1兆円超
県試算 年間予算上回る
宮城 がれき撤去着手
「合板王国」大打撃
移るか残るか 苦悩
都市型の建物被害深刻
仙台 ビルやマンション「危険」判定続出

3/30(水) 晴後曇

【仙台市の放射線量:0.12μSv/h

昨日ガソリンが入手できたので、車で買い物に出た。今まで入手できなかった牛乳や卵を入手できた。 しかし、まだ並ばなければ入手できない状況だ。

3/30(水)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城 被災車両14万6000台
登録台数1割占める
村覆う 見えない恐怖
443平方キロ波がのみ込む
水産加工復興 塩釜から
雇用不安 訴え切実
見えぬ将来、募る焦り

3/31(木) 曇時々雨

【仙台市の放射線量:0.12μSv/h

水道の水圧が戻った。シャワーがちゃんと使えた。
家中の家具の転倒防止を補強した。これで完璧だ・・・と思う。

3/31(木)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城・沿岸3高校 移転へ
現在地再建は困難
小型船9割 大破・流失
双葉町民1200人再び疎開
宮城 窃盗被害1億円
要援護者届かぬ手
心身不安定 ほかの遭難者もストレス限界

4/1(金) 晴後一時曇

【仙台市の放射線量:0.11μSv/h

テレビのコマーシャルが「AC」一色から少しずつ通常のコマーシャルが入るようになって来た。復興の動きもあるようだが、実感はない。

4/1(金)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城 被害2兆円超
商工業関連は7300億円
JA農家に無利子融資
水産業復興へ動き出す
孤児調査始まる 難題も
汚水あふれ街に異臭
浄化センター破壊 下水処理パンク

4/2(土) 薄曇

【仙台市の放射線量:0.11μSv/h

震災後3週間経ったのを機会に、我が家の緊急事態体制を解除した。家族全員が1つの部屋で寝起きしていたが、それぞれの部屋で寝ることにした。

4/2(土)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
東北 製造業再興へ一歩
冷凍水産物 海洋投棄へ
仙台港復旧急ピッチ
会津にも風評被害拡大
頭痛める学校避難所
農業再建 厳しい前途
宮城・農地の11%浸水

4/3(日) 晴

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

良い天気だが外には出なかった。外に出なければ花粉に苦しまなくてすむ。
相変わらずガソリンが入手できない状態が続いている。

4/3(日)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
沿岸15市町「再構築」
宮城県 復興計画で明記へ
動かないと静脈に血栓
”恩人”は仙台東部道路
ごう音 津波襲来の瞬間
在宅被災者 孤立続く
避難所の陰で困窮

4/4(月) 晴

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

大工さんが来て、地震で落ちた板等を直してくれた。
震災後初の散髪、衣類の購入ができた。

4/4(月)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
南三陸 集団2時避難開始
宮古、津波37.9メートル到達
がれき自主撤去待って
津波 湾の向きで差
救われた命 人のため
特産2ブランド壊滅
宮城県沿岸部の亘理・山元

4/5(火) 快晴

【仙台市の放射線量:0.11μSv/h

いつも利用していた介護施設がデイサービスを再開した。有り難い。 この介護施設は地滑りのあった地区にあるため、最近まで水が出ず再開できなかったそうだ。

4/5(火)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
住宅あっせん機能せず
規模想定外情報提供に限界
ひたすら わが子捜す
ガソリン供給改善進む
ノロウイルス対策強化
部屋探し 被災者困った
足りぬ家族向け賃貸住宅

4/6(水) 快晴

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

とても暖かく、暖房を使わずに済んだ。
灯油の販売店さんが、給油に来てくれた(1リットル93円)。
ガソリンスタンドの再開も近いかも知れない。

4/6(水)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
仙台空港 月内再開
宮城沿岸 創業制限
漁業者 いら立ち頂点
陸前高田で仮設の抽選
戸籍流失 復興へ足かせ
地籍未整備 土地境界の紛争懸念

4/7(木) 曇

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

外は暑いくらいの陽気だった。しかし、花粉もすごかった。

23時32分、震度6強の余震があった。また地震の恐怖が蘇ってきた。
揺れは3.11の本震よりも大きかったようだが、揺れている時間が短かった。
一瞬停電したがすぐに復旧した。
震災後、地震対策を補強していたので、被害はほとんど無かった。

4/7(木)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
仙台地下鉄29日全面再開
仙台青葉祭り中止
牡鹿半島沖海底24メートル移動
車撤去船きょう仙台に
空き別荘 被災者に提供
飼料品薄 畜産に打撃
石巻工業港 津波で壊滅

4/8(金) 曇

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

昨夜の余震で、まだ油断できないことを痛感した。
家中の地震対策を再度見直しして、必要なものはさらに補強した。

4/8(金)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
宮城震度6強
M7.4震源宮城県沖
深夜の避難所緊迫
女川原発 基準超す揺れ
仙台18日から簡易給食
笹かま苦境 業界団結
自治体の固い絆 力に

4/9(土) 雨後一時曇

【仙台市の放射線量:0.10μSv/h

久々の雨で花粉も少なく楽に外出できた。
スーパーやホームセンターは普通に営業していた。
なにより、ガソリンスタンドが普通に営業していたのが嬉しかった(1リットル152円)。

4/9(土)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
復旧さなか 再び緊迫
宮城震度6強 最大余震
ライフライン直撃
仙台東部の塩害深刻
余震 建物に打撃・宮城
深夜 震える避難者
「また余震 もう嫌」

4/10(日) 快晴

【仙台市の放射線量:0.09μSv/h

震災後初めて風呂に入った。今までシャワーで我慢して来たが、風呂は精神面を癒してくれる。有り難い。

4/10(日)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
復興期し智恵結集
”漂流”避難見えぬ将来
陸前高田仮設入居開始
津波 先人の警鐘 生かされたか
大船渡・吉浜湾「明治三陸」で被害 高台に集団移住
宮古・姉吉「此処より下に家を建てるな」石碑の教え守る
仙台・霞の目「波分神社」の伝承途絶える

4/11(月) 曇後時々雨

【仙台市の放射線量:0.09μSv/h

震災後初めて車を洗った。
水道は3月中に完全復旧していたが、車を洗うために水道を使うのにはためらいがあった。 昨夜震災後初めて風呂を入れたので、その残り湯で車を洗った。

4/11(月)の河北新報 

<新聞の主な見出し>
震災1ヵ月 死者1万3013人
避難者15万1115人
元の場所で生活「不安」7割
30キロ圏内 所在確認6割
地滑り被害で説明会
大震災1ヵ月特集
志津川病院外来再開へ

以上、震災後1カ月間の記録(メモ)でした。

震災を振り返ってみると

わたしの住む地区は被害が少なかったので、食料や水を調達できない状況下でも、何とか自力で生活してきましたが、最初の1カ月は、とにかく 不安との闘い の日々でした。

ライフラインは何れ復旧するのはわかっていましたので、それほど不安はありませんでした。不安だったのは経済面です。「仕事は続けられるだろうか、家族を養っていけるだろうか」 ということでした。全く先が見えず、不安でなりませんでした。

結局、「なるようになるさ」 と開き直って、「今、貴重な体験をしている」 といった前向きな気持ちに切り替えて過ごしてきました。すると、気持ちに余裕が生まれました。

気持ちに余裕ができると、いろいろな事に目を向けることができるようになりました。

痛感したのは、それまでの生活環境が、とても恵まれていたという事と、それがとても脆かった事です。人間が長い年月をかけて築き上げてきた文明の利器はとても非力でした。

その反面、人(家族)は強いと感じました。苦難にめげずに思わぬ力を発揮する姿もありました。ご近所さん同士のコミュニケーションも良くなりました。

また、必要に迫られれば、智恵が働くことも実感しました。限られた条件の中で、無駄の少ない、効率的な生活を送るための様々な着想が生まれました。

そして、一番役に立ったのは 「確かな情報」 でした。状況は何も変わらなくても、情報があるだけで不安な気持ちは半減しました。我が家においては、家族で手分けして情報収集した結果、食料の調達やガソリンの調達につながりました。

なお、被害の大きかった地域では、未だに不便な生活を余儀なくされている方がたくさんいらっしゃいます。また、家族や住むところを失った方々の事を思うと、心がふさがります。

今回の震災を経験して思うのは、人間も自然(地球)の一部 という事です。
今までは、漠然とですが「特別な存在」のように感じていました。思い上がりでした。

これからは、自然に抗わず、身の丈に合った生活を心掛けたいと思います。

震災への備え

震災時一番心配だったのは食料です。電気や水道は比較的早く復旧しましたが、食料は物流環境が復旧するまで調達が難しい状態が続きました。逆に食料があると精神的に楽になれました。

備えあれば憂い無しと言いますが、震災への備えは、幾らあっても心配です。
今回の震災を機に、我が家では以下のように心掛けております。

  • 家具や背の高い家電は、柱や梁に金具等でしっかりと固定する。
    (ビスが短いと震度6の衝撃で抜けてしまいます。長いビスでがっちり固定しました。)
  • 棚に載せた箱物は荷造りひも等で落下を防止する。
    (ホームセンターで売っている荷造りベルトが便利です。)
  • 非常食は3日分(1日1食として)確保しておく。
    (今回の震災では非常食の出番はありませんでしたが、食べ物があると安心です。)
  • 米は、米びつに半分になったら、買い足しておく。
    (米さえあればなんとかなります。無洗米だと水を節約できます。)
  • 飲み水は7日分をポリ容器に汲み置きして、傷まないよう定期的に取り替える。
    (ペットボトルよりポリ容器に水道水を入れる方が実用的です。)
  • 持病の薬は常に一週間分は手元に確保しておくようにする。
    (残りがあと一週間分になったら病院へ行き、次の薬を出してもらっています。)
  • カセットコンロ用のガスボンベは3本以上確保しておく。
    (カセットコンロは非常に重宝します。たまに鍋でご飯を炊く練習をしています。)
  • 車のガソリンは、1/2になったら給油して満タンにしておく。
    (震災時ガソリンは緊急車両優先です。一般車両は最後になります。)
  • 風呂のお湯は、次の日まで残しておく。
    (震災時トイレを流すのに使えます。)
  • 自転車を使えるよう手入れしておく。
    (情報収集のための移動手段として大活躍しました。比較的早い段階で食料を入手できたのは自転車のおかけです。)
  • 交通機関が麻痺した場合の帰宅方法をシミュレーションしておく。
    (日頃から訓練しておくと、いざという時混乱しません。)
  • 手元にある程度の現金を残しておく。
    (震災時はクレジットカードも電子マネーもATMも使えませんでした。食料等は現金で買う事になりますが、普段より1〜2割高くなります。)
  • 自分で収穫できる食料を生産する。
    (震災時に食料があれば安心できましたので、庭にトマトやキュウリなど食べたられるものを植えるようにしています。プランターも手軽です。)

上記の事柄は、あくまでも一例です。
実際に自分が被災したらどうなるか、を想像して備えを考えるのが良いと思います。

それから、これから家を建てる方は、以下のような検討をしてみてはいかがでしょうか。

  • 雨水タンク
    (普段は庭の水まきや洗車に、震災時にはトイレを流すのに利用できます。ただし、雨に放射性物質が混じっていると、放射性物質をためてしまう危険があります。)
  • 薪ストーブ
    (暖房だけでなく調理するのにも利用できます。煙が近所迷惑になる事も・・・)
  • ソーラー発電
    (停電時でも、太陽が出ていれば電気が使えます。雪の多い地域には?)
  • 免震対策
    (揺れを低減できますので、家の中を安全にできます。現時点ではコスト・耐用年数・メンテナンス等の判断材料が不足しています。)
  • 良好な地盤
    (どんなに頑丈な家を建てても、地盤が弱ければなんにもなりません。土地を選ぶ際には、利便性や景観よりも地盤の強さを重視することをおすすめします。素人でもある程度の地盤特性を調べる事ができます。)
  • 海から離れる
    (海から十分離れていれば津波の被害を受けることはありません。)

雨水タンク、薪ストーブ、ソーラー発電は、実際に設置している方から、震災時にとても役に立ったという話を聞いております。

今回の震災で復旧が一番早かったのは電気でしたので、オール電化住宅だと生活環境の復旧も早いと思います。 しかし、電気に依存しすぎる生活環境は非常に脆いと感じました。

地盤を調べる手段としては、
国土地理院の土地条件図を見ると、その場所が自然の地形なのか、斜面を削り谷を埋める等して人工的に作られた地形なのか知る事ができます。
 →土地条件図

古い航空写真を見ると、その場所が以前はどんな状態だったか見る事ができます。
 →国土変遷アーカイブ空中写真
 →地図・空中写真閲覧サービス

大まかですが、地盤の揺れやすさを見ることができる地図もあります。
 →全国揺れやすさマップ

それから、昔からその地域に住んでいる人に聞くのも良い方法だと思います。
ちなみに、古い神社仏閣や遺跡がある場所は地盤が強い事が多いそうです。

以上、参考にしていただければ幸いです。